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日本の子どもたちに夢を・・・

夢を持つことは大切!子どもであっても大人であっても・・・

写真にあるように、「子ども応援便り」というのが、定期的に全国の学校?で配られているのだと思いますが、今までに記憶の新しいところで、メジャーリーガーの大谷選手もあったでしょうか。世界で活躍している選手は子どもたちに夢をもってもらうには効果的ですよね。

今号は、陸上競技、100mの日本記録保持者の桐生祥秀さんでした。私自身が大学まで陸上競技(同じ短距離)に没頭していたこともあり、やはり興味深くよませてもらいました。つい最近に日本人2人目の9秒台がハキーム選手によって出されたばかりで。日本の陸上界が東京オリンピックに向けて熱くなっていくと思います。

読まれていない方もいらっしゃると思いますので、この場で全文を紹介したいと思います

2017年、陸上100m走で、日本人選手として初の9秒台となる9秒98を記録した桐生祥秀選手。意外にも小学校性の頃はサッカー少年だったそうです。

陸上を始めてきっかけや、競技でなかなか良い結果が出ない時の対処法など、ご自身の経験を踏まえて語ってくれました。

今はまだ物語の途中にいる 成功するイメージを大切に

―桐生さんはどんなお子さんだったのですか。?

 とにかく外遊びが好きな子どもでした。休日のたび、父と4歳上の兄と近くの公園で朝から晩まで野球やサッカーをしていました。 小学生になると、兄とその友人が遊び相手になりました。体力的にも大きな差があったはずですが、サッカーやドッヂボールをする時も「手加減しないで」と自分から頼んでいたくらい負けん気が強かったです。入学前は、アトピーうあ喘息を患うなど、身体の強い子どもではなかったようですが、活発に遊ぶうち、気づいたときには治っていました。

―小学校時代はサッカー少年だったそうですね。

 地元のチームに入っていた兄と遊びたい一心で練習についていったのがきっかけです。両親には「団体競技をすることで仲間の大切さを学んでもらいたい」という思いもあったようです。地元・志賀健彦根市選抜にも選ばれましたが、「団体競技は自分には合わない」との理由から、中学校からは陸上を始めました。後に聞いた話では、「祥秀は気が優しいからボールをとれらてしまう。このままでは個性がいきない」と父も感じていたそうです。

ー高校は京都府の洛南高校に進学しました。

 電車で片道1時間半ほども道のりでしたが、陸上部顧問の先生のすすめで自宅通学しました。3年間、母は毎朝4時半に起きて弁当を作ってくれました。最寄り駅まで距離があったので、朝は父が、帰りは母が駅まで車で送り迎えしてくれました。「今日はどんな練習したの?」15分程度の車内でのたわいもない会話が、振り返ってみると大切な時間だったなと思います。

ー家族とは今でも仲が良いそうですね。

 家族全員参加のLINEグループを作って、近況を報告し合うようにしています。特に兄とは、頻繁に連絡をとりあっています。兄も中学から大学まで陸上部に所属していて、中学時代のあだ名はジェット桐生(笑)。僕の中学入学時、校内記録の100メートル走の欄は兄の記録でした。兄の名前を消したくないし、兄弟で名前が並んだらこっこいいと思い、あえて200メートルにエントリーしたのを覚えています。

ー夢を叶えるために必要なことはなんでしょうか?

 誰に何を言われても、自分の信じた道を歩むことだと思います。でも一生懸命打ち込んでも、なかなか良い結果が出ずに落ち込むこともあると思います。僕も初めて日本一になれたのは、高校1年の秋でした。 勝負に負けたり、良いタイムが出なかったりしてメディアで酷評されることもあります。熱心に取材してくれた記者が、急に自分の前を素通りすることも。そんなときは頭の中でサクセスストーリーを描くんです。「今はまだ物語の途中。クライマックスを盛り上げるために一時的に調子が悪いだけ。すぐに記者が取材しなかったことを後悔するくらいの好タイムがでる」こんな風にイメージして、自分を奮い立たせます。2020年の東京オリンピックは選手として目指すべき最高の舞台。ファイナリストになれるタイムと強さを手に入れた自分をイメージしてこれからも日々の練習に取り組みます。

「子ども応援だより 2019Vol.25  発行 子どもたちの豊かな育ちと学びを支援する教育関係団体連絡会

子どもに夢を与えられるように身近な大人が、もっともっと元気でなければならないと思います。

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