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子どもの出る杭を突き出させろ!

「才能」ってどの子にも埋もれていると思うのです。どの子もその子なりの分野で輝けると思うのです。でもそれを埋めてしまっているのは、私たち大人なのかもしれません。どの子も生き生きとしてしっかりと自分の人生を自分で切り拓いていく力を身に着けてほしいと思います。

現代の教育は横並びを良しとし、飛び出す子がいれば、それを抑え込む流れがまったくないわけではありません。個性伸長とはいっても現実として、公教育の中では難しいのが現状だと思います。大人数の中で、やらなければならないことがあり、それぞれの子たちに光を当てられるかといえば、なかなか困難です。

ところで、日米のプロ野球で活躍したイチロー選手を始め、数多くのスター選手がいますよね。鍛え抜かれた肉体と類まれなる技術を持ち、まさに超人と呼べるプレーの連続で多くの人の羨望のまなざしを受けています。

こうしたスター選手を見ていると、つい「才能」の一言で終わらせてしまいがちですよね。「あの人は持っているものが違うんだよ」って・・・

彼らが持って生まれた才能に加え、日々の努力も絶やさないということを知っていたとしても、やっぱり天賦の才能には叶わない・・・そう思ってしまう人も多いのではないでしょうか。

しかし、何故イチロー選手は野球の才能を発揮できたのでしょうか。

親がプロ野球選手だったわけではありませんし、もとから特別なコーチやトレーナーが近くにいたわけではありません。子どもの頃から野球が好きで、プロ野球選手になりたいと夢を描き、それを実現するために努力を惜しまなかったこと。そしてそんなイチロー選手の夢をサポートする親が存在していたことが大きな理由です。

「チチロー」ともいわれる父の鈴木亘之さんは、イチロー選手の小学時代、仕事を早めに切り上げて毎日のようにキャッチボールの相手をしていたそうです。練習のしすぎで疲労を訴えてきた時には、朝方までマッサージをし続けたとそうです。(そこまではできない、という人もいらっしゃると思いますが)

幼いころから思い描いた夢を、不断の努力で実現させたイチロー選手。それを全面的にバックアップさせたチチロー。どちらも素晴らしいですよね。

でも、本題はどの子も何らかの「才能」をもって生まれてきているということです。

「出る杭」 思う存分出させてあげましょう!

「才能」の萌芽は、ささいなものであるかもしれません。

人より少し早く走れる、教わらなくても泳げた、高くジャンプできる、ボールを遠くまで投げられる、など。スポーツに限らずとも、音程がよくわかる、絵がうまいなどといったことも、芸術分野への才能を感じさせるヒントでしょう。

もって生まれた「才能」は、それを親や指導者が見出し、伸ばしてあげることでさらに大きく成長していくと思います。

逆に言えば、才能を引き出してあげるには、それを見つけるチャンスを見逃さないということです。

怖いのは、こうした才能の萌芽を、意図的にないことにしてしまう風潮すらあるということです。

他人より優れた「才能」というのは、つまり「出る杭」ですよね。「出る杭は打たれる」ということわざがありますが、その通り、こうした「才能」をモグラたたきのように叩いてまわろうとする人が結構多いのです。

児童・生徒全員が平等で、均一の教育を与えようとする教育現場では、「できない子」に対しては十分なフォローをしようとしますが、一方、「できる子」の才能を積極的の伸ばすことはせず、(時間的にできない?)場合によっては均一化を妨げるものとして、意図的に無視したり潰そうとしてしまうケースさえあります。

これは他人と毛色が異なることで、村八分にされてしまう、島国、日本らしい文化ではあるのかもしれませんが、あまり褒められたものではないですよね。

先生も、生徒同士でも、「才能」ある子が自分の周りから現れようとすると、「出る杭」を打とうとします。

そのくせ、その子が大人になって大成するや、「私が育ててやった」というような顔をしたり、「同じクラスだったんだ」と自慢の種にしたりします。そうであるならば、わが子の「出る杭」を打たしてまで、横並びの世界にいさせる必要はないのではないでしょうか。

さらには、親自体が、子どもの「出る杭」をたたこうとしているケースもあります。

子どもの何気ない発言を「それは違うよ」って伝えていませんか。

例えば、雨が降る音を表現する子どもに「ふつうはザーザーっていうからね」って・・・

でもそれはその子の豊かな表現力をいう「才能」を摘み取っているにほかなりません。「ザーザー」以外が間違っているとはいえませんよね。

こうした表現力を無視したり、伸ばしてあげる努力を怠ったりして、「出るべき杭」を腐らしてしまうのはもったいないことです。